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7/27-28  
今日から夏休みを兼ねて一時帰国します。いつもの羽田行きではなく、サンフランシスコ経由で関空へ。5時過ぎ起床の昼行便なので機内ではあまり眠れず、体力的にはあまり優しくありません。合計二時間くらい眠り、ビデオを見たり資料整理をしたり。

到着後実家へ。蒸し暑い夏にいきなり飛び込みました。セミがよく鳴いています。


7/29  
4時間しか眠れず、朝食後再度眠る。ゆっくりして体を休めます。


7/30  
九州大学へ出張。学生最後の頃に来て以来です。直接の共同研究者がいるわけではありませんが、知り合いの関連研究者と交流を深めるため行ってきました。雑談したり研究の話をしたり。


7/31  
昨日の続きで大学訪問。短い訪問でしたが足を運んでよかったと思っています。

ついでに九州観光をします。夕方には熊本へ。九州新幹線ができたので、博多から40分程度で行けます。宿に荷物を置いた後、熊本城を見学しに行く。

加藤清正により立てられた日本三名城です。戦に備えたため質素な造りですが、威圧感のある佇まいです。急な石垣、武者返し、井戸など実用性を随所に感じさせます。







おもてなし武将隊によるウォーキングツアーに参加してきました。加藤清正、細川忠興に扮したツアーガイドが、歴史や見どころを案内してくれました。本人になりきった立ち振舞い、面白い掛け合いが良かった。今回まで武将隊のことを知りませんでしたが、各地の城にあるようでPR活動で成功しているようです。









8/1  
阿蘇へ行ってきました。熊本からローカル線で行き、レンタカーで大観峰と草千里を見学するという計画を立てました。

しかし、列車に乗っている途中で先行列車が車と衝突し踏切事故を起こしたため、田舎駅で長時間停車。復旧見込みがわからないまま、このまま待つか、降りて別な手段を考えるかの選択をしなければいけませんでした。時間と土地勘の限られた旅行者にこれは困ります。一応別なレンタカー会社が駅前にあるようだけれど、まだ阿蘇まで遠いし、キャンセル処理とか復路の列車の算段とか未知な部分があります。列車は反対側も止まっているので熊本に戻るのも難しそう。

運転手は事故を知らせた後列車を離れてしまったので、web上の運行情報と運転席から聞こえてくる無線で判断しなければいけません。滞在時間に少し余裕があるのと、それなりにローカル客が車内に残っているのと、むやみに動いても別な困難がありそうな気がしたので、しばらく待って状況が改善するか膠着するか様子を見てみることにしました。

現場検証が始まったのと、時折無線で状況が変化していっているらしいことを考慮して、どうしようもない状況ではなさそうだったので、引き続き待つことにしました。同じボックス席に座ったおばあさんと話をしながら。

一時間後、運転再開になりました。一応待って正解でした。しかし、この路線は単線のため対向列車の待ち合わせが多数あり、ダイヤが乱れているため時刻表にない長い停車が何度かありました。結局80分遅れで阿蘇に到着。途中でスイッチバックがあったり、カルデラの中を走行したりと良い眺めではありました。

帰りの列車は予定通りと駅員さんは言うけれど、本当にそうなるのかわからないので限られた時間をどう使うか、計画を立てなおさなければいけません。まずは道の駅で軽い昼食。ゆっくり座る時間はなくなったのでここでまず時間節約。

日本では久しく運転していなかったので、左側通行に不安はありました。しかしバスは本数が少ないので、機動力を上げるためにレンタカーにしました。今回のような遅れがあるとなおさら助かります。周囲確認を注意深くしながら走行。山の中で交通量が少ないですが、曲がりくねった山道なので緊張しました。日本の制限速度は一般的にアメリカより低いので、ゆっくり走る分周りを見る余裕があるので助かりました。あと地図上で予行演習もしたのと、カーナビがあるので。

まずは無事に大観峰へ到着。カルデラの周囲にある山上の観光ポイントです。大草原と眼下に広がるカルデラの景色が素晴らしい。やや霞みつつも快晴だったので見晴らしはとてもよかった。







続いて草千里へ。火口から立ち登る噴煙や、馬が歩く草原が見られました。







予定より駆け足で回ったので、この時点で遅れを半分にまで短縮しました。それでも予定の復路列車にようやく間に合うような時間だったので、短い滞在でしたが駅まで戻る。

レンタカーを返却。列車は予定通り発車するというので、残り10分で売店へ。ソフトクリームを食べたかったけれど、大行列のため断念。牧場の飲むヨーグルトだけ買って列車に乗る。帰りの時間を遅くしても良ければ滞在時間を伸ばすという手もありましたが、一時間に一本しかないのと、まだ時差の残った体では難しいと思い、帰りの列車は変えたくありませんでした。案の定帰りの列車では疲れで眠ってしまう。あれ以上の運転は止めておいて正解でした。

何とか予定の観光地点は巡ったので、目的は達成されました。有名な景色を見られて、来てよかったと思います。しかしあまりに駆け足だったので、汗をかきながら時間に追われ、ゆっくりできなかったのは残念。遅れを吸収できる程度の余裕のある計画だったので何とかなりましたが。夏休みの土曜日だったけれど、お盆前でさほど混んでいなかったことも幸いしました。あと、携帯電波がどこでも良好だったので、情報収集に役立ちました。

帰りの列車は定刻通り発車したけれど、すれ違い列車の遅れのため熊本駅に延着。ここでは新幹線乗り換えのため待ち時間が予定されていたので、残った時間で急いでお土産と弁当を買う。そして冷たい飲み物を買って休憩。ここまで来れば後は心配なさそう。

山陽新幹線直通に乗り、空いていたので落ち着いて座って帰る。疲れました。朝以来ようやくホッとする時間になりました。日本の鉄道は時間に正確とはいえ、事故の場合はやはり遅れます。それを事前計画で考慮するのは難しいですが、よく下調べすること、短縮・延長できるよう計画に余裕を持つことが大事だと思いました。


8/2  
休みつつ回ってくる仕事を片付ける。


8/3-5  
暑くて頭が回りませんが、作図作業を進めていく。


8/6  
本屋と雑貨屋に行き、前からリストアップしていたものを買う。いくつかは実際に見たら大きすぎて断念しましたが、当分読み物には困らなさそう。歩きまわって疲れました。


8/7  
作図を終えて論文書きに戻る。ようやく収束しつつあります。



8/8  
今回も永田さんに会って近況報告をしてきました。大したupdateはありませんが、研究の進み具合、研究動向、職探しなどについて。


8/9  
仙台に出張します。まだ神戸空港から仙台空港までスカイマークが運航しているので、それに乗ってきました。新幹線より速く安いので楽です。

仙台に来たのは震災前以来です。駅前を見た限り当時とあまり変わらず見覚えのある景色でした。


8/10  
東北大訪問。新しい建物に移っており、見違えるほどよい環境でした。こんな環境で大学院生活を送りたかったと思えました。

バス停となりに新しい建物が立ち、そちらに移転していました。



セブン-イレブン理学部店。ついに学部内にコンビニが。年末には地下鉄も来ますし、すっかり環境が良くなっていました。



旧A棟。上階は使われていません。



旧A棟からの景色。これを毎日見ながら学生生活を送っていました。



先生や学生さんと研究の話をする。夜には寿司屋へ。学生生活当時を振り返りながら思い出話をしました。


8/11  
訪問二日目。引き続き先生や学生さんと研究の話をする。亡くなった指導教員の往時の様子についても聞けました。

仙台を離れ、青森へ移動。東北新幹線で仙台以北へ行くのは初めてです。在学中には秋田、岩手までは旅行したことがあり、山形、福島にも行ったので、いつか青森にも足を伸ばし東北六県制覇したいと思っていましたが、旅行仲間がいなくなって以降は遠出をする機会が減り、当時は実現しませんでした。あれからだいぶ時間がたちましたが、ようやく足を踏み入れます。18切符で青森を通過したことはありましたが、駅の外へ降り立つのは初めてになります。

既に夕方なので、今日は駅周辺を散策するだけ。海鮮丼を食べ、保存してある青函連絡船と海岸周辺を歩く。





8/12  
奥入瀬渓流へ。国立公園で景観の良い所だと聞いていたので行ってきました。青森からバスで二時間、渓流内で降りて二時間半ほど歩きました。きれいな川沿いの森林ハイキングコースで、歩いていてとても気分の良い所です。セミが鳴かないほど涼しいのもよいところ。途中で雨が降りましたが、傘をさして歩ける程度でした。









終点の十和田湖まで歩き、そこからバスで青森に戻る。郷土料理屋で夕食。疲れましたが丸一日使ったので無理の無い行動だったと思います。


8/13  
弘前へ電車で行き市内観光。弘前城公園を見学。季節は違いますが桜の名所です。城はほとんど残っておらず修復作業中で、予想より早く見学終了。そのまま弘前ねぶたを展示してあるねぷた村に行く。展示以外にも津軽三味線の生演奏や日本庭園が良かった。







青森市に戻り、三内丸山遺跡へ。復元された縄文時代の遺跡を無料で見学できます。屋外の広い敷地に当時の様子を再現してあり、単に博物館で見るよりも実感があります。



夜に帰宅。限られた時間で十分青森を楽しめたと思います。


8/14  
疲れて眠いので二度寝三度寝。仕事が溜まってきているので少しずつ片付けていく。


8/15  
大阪へ行き菊池先生にご挨拶。家からそう遠くないこともあり、先生のお宅で研究の話をしました。眺めの良い所です。進捗状況や最近の様子について話しました。


8/16  
帰省してきた弟とともに親戚の家にお盆の挨拶に行く。去年は行けなかったので二年ぶりになりました。お変わりないようで何よりです。犬も元気そうでした。


8/17-18  
少し仕事をして、明日からの出張に備えあとは休む。


8/19  
日本滞在はここまで。それなりに長く滞在できて良かったと思います。

北京へ出かけます。無事終えられるよう安全に気をつけながら過ごしたいところ。関空から直行便が出ているので楽に移動できます。奥さんが迎えに来てくれて、大学が用意してくれた宿まで移動。いい宿が充てがわれて快適に過ごせます。ただタクシーを含め車の運転は荒いので、使えないシートベルトを握りながら乗るというのは前と変わっていません。運転は地方都市や以前に来た時よりは改善されているようですが。

最近中国に帰った友人と夕食へ。ステップアップし大きな仕事を任されているようで、充実した仕事ぶりが伺われます。そういった機会があるのは羨ましいところ。


8/20  
研究所訪問の予定だったけれど、訪問先の人が急用で出かけてしまったのでキャンセルになりました。仕方ないので今日は観光に出かけます。中心地には以前に行ったことがあるので、郊外の頤和園へ。清の時代に避暑地として使われていたところです。庭園かと思ったら急な丘上りで息が切れました。





その後は湖沿いを散策。

昼食にはデパートで大きな魚料理。日米で見られるような大きな新しいデパートでした。奥さんが注文などしてくれるので、座っているだけでよく楽です。英語はあまり通じませんし。


8/21  
北京大学を訪問。歴史ある建物の一角に宇宙物理の研究室があります。大学院生の研究の話を聞き、セミナー発表をし、他の訪問者の発表も聞く。それはそれで有意義でしたが、一日に詰め込まれたため人と話す時間があまりなかったのが残念。夏休みと研究会で人が少ない時期だったというのもありました。今後訪問する際は日程を変えたほうが良さそうです。

関係者に連れられて大学構内を見学。学内に庭園や清の時代の建築物があり、歴史を感じさせます。学内にこういったところがあって散策できるようになっているのは素晴らしい。その後は学内の中華料理屋で揃って夕食。





8/22  
日中は宿で仕事をしながら休み、夕方には奥さんの弟さんとその奥さんに会い鍋料理の夕食へ。英語は若干しか通じないので通訳してもらいながらですが、最近の様子について聞きました。


8/23  
昨日と同じメンバーで集まり、先日とは別なデパートへ。地下鉄の駅から少し歩きましたが、狭い生活道路で家は古く、道はでこぼこ、衛生環境は悪く、表通りとはだいぶ雰囲気が違いました。大通り沿いはだいぶ整備されているけれど、裏に回ればまだ何十年も前の世界が広がっている感じでした。

着いたところで昼食。有名なところらしく50組待ちでしたが、回転は早くさほど待たずに入れました。味と種類の豊富さは素晴らしい。

その後は雨だったので引き続き滞在し映画館へ。英語字幕があったので理解はできました。

雨が上がって、中心部の歴史的建造物保存地区である南鑼鼓巷へ。胡同という小さな路地が多く、明の時代からの住居が今でも使われています。石積みの古い家で昔ながらの生活が行われている感じでした。雰囲気が出ているのは良いですが、ここも水道の整備が遅れているのか通りを歩いていても匂いがきつい。仕切りのない中国式トイレが今でも残っているらしい。





観光はここまで。案内してくれた弟さん夫婦に感謝して別れる。


8/24  
アメリカに向け出発。終始人について行けばよかったので、安全に注意を払うこと以外は楽な滞在でした。研究面では大した進展はなかったけれど、様子はある程度つかめました。

訪問期間中は概ね天気が良く、空気の質もまずまず。世界選手権が開かれているため、工場操業や通行可能車両に制限がかかっているそうです。

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